師という希望の光

どん底から希望の光へ

 

 

以前Amebaブログで書きましたが、

上の子下の子の子育てに追われていた時期も過ぎ、2012年はじめ頃、私は気学を学び始めました。

 

2009年に椎間板ヘルニアで仕事をなくし、時間はいくらでもありました。

ようやく腰が少し良くなってきたのでインターネットで検索していて

ちらっとみかけた師匠のお写真でこの人に会いたいと

大阪気学塾へ。(知らないところに一人で行くって三碧っぽい;;)

 

占いは四柱推命も占星術も、その頃は個人から10人くらいのグループのところへ習いに行っていましたが、

 

気学塾は大人数のセミナーでした。

 

月に一度、学びにいくのですが、五時間半くらいの先生のお話のうち気学の勉強は2時間くらいで

お話のほとんどは世界の情勢や政治、などでした。

大物政治家とのことやヨハネパウロ二世とのご縁、モナコの王室とのお食事の話、大統領の朝食会のときの管官房長官(現管総理)のお話・・・と

先生の体験やお話のスケールはすごく大きくて

一般庶民とはかけ離れているにもかかわらず

すごく親しみやすい笑顔でお話をされるので

おばちゃん達を始め、乳飲み子を抱いた若い夫婦までが

通っていました。

 

もうあんなスケールの大きなお話を聞ける方には、お会いできないだろうと思います。

先生のお話は

とても興味深く、

行くと元気がわいてきて

毎月通うのが楽しみになりました。

そのうちすぐ同時に夜開催の

仏教塾にもでるようになりました。

 

この先生は今まで会ったどの先生とも違う!

そう思いました。私にとって希望の光そのものでした。

 

はじめてすぐ、気学をもっと知りたくなり、

岐阜の、先生のお弟子さんにも気学と先生の心理学であるTOEの内容を

月に3回、多いときは4回以上 Skypeで基本からみっちりと習い続けました。今も8年以上お世話になり続けています。

 

そしていきはじめてからすぐ日盤吉方をとり

3ヶ月で

全くの無職だった50歳過ぎのわたしに、正社員もOKという

好待遇の仕事が見つかりました。

 

そのすぐ後、朝、気学塾の始まる前にセミナー会場の前の道路で

先生に会い、

「先生!最近すごくいいことがありました」

と伝えると

先生はにっこりして

「もっともっといいことがあるよ」

とおっしゃってくださいました。

 

あの笑顔は今も目に焼き付いています。

 

仏様のようなやさしいお顔でした。

何時間でもみていられそう、そう思いました。

塾が終わるのが淋しくて

帰ると毎回の仏教塾で感動した内容がわすれられずに

すぐまた先生のお話の内容を何かに書き留めたり

ブログに書いていたりしました。

はまりすぎて、仕事場の行き帰りの往復1時間は気学と心理学の録音を聞きながらの毎日・・・

そんな日常でした。

 

先生の話された事の中で、一番大切なのは

心の話なのだそうです。

 

 

知識だけではない、先生ならではの心のこもった

体験のお話が一番私たち生徒の気持ちに染み入りました。

先生はよく

「人に教えていきなさい。でも心の話が貴重だから

ノートを別にとって

それを伝えるように」と言われていました。

技術のみではない、先生の言葉の中にある真心の伝え方が

とても素晴らしいものだったと今は感じています。

 

それらの先生のお言葉は今も私の宝物になっています。

 

先生が亡くなられた今は、弟子達は先生という光を失いましたが

先生の想いを

できる形で伝えていきたい

今はそう思っています。

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